人物

福沢桃助
福沢桃介は、明治元年(1868年)6月25日埼玉県吉見町で生まれ、幼少の頃埼玉県川越市に一家で移住。慶応義塾に入塾したのが縁で、天性の明敏かつ努力家の桃介は福沢諭吉に見込まれ養子となり、用紙の条件としてアメリカに留学。明治40年代から名古屋を中心とする実業界で活躍し、幾多の事業を手掛ける。木曽川水力発電の開発に特に情熱を注ぎました。日本の電力王といわれ、大同電力(後の関西電力)社長として読書発電所、賤母発電所、大井発電所などを作った。昭和13年(1938年)2月15日に69才で逝去。
志賀重昴
1863.11.15 愛知県岡崎に生まれる。没年地:1927.4.6 東京
地理学者,評論家。
。1874年、単身上京し、数学・航海・天文・測量等の専門塾「攻玉社」に入学。その後、東京大学予備門を経るものの東大には行かずに、クラークで賑やかな「札幌農学校」へ入学した。(内村鑑三は3年先輩。)1886年、重昴は自費で軍艦「筑波」に乗船、南洋諸島に向かい、謂わゆる「オセアニア」;カロリン諸島〜ニュージーランド、フィジー、サモア、ハワイなどを調査研究した。1887年に民友社の(同い年の)徳富蘇峰の雑誌『国民之友』に触発され、3つ年上の三宅雪嶺・8つ年上の杉浦重剛と共にこの翌年(1888年)政教社を起こし、『日本人』を創刊。またその後、北アメリカ、インド、パキスタン、欧米諸国を漫遊。……合計42万km;地球十周にものぼる大13年、岐阜県可児市から愛知県犬山市にかけての木曽川を下った際、景色がドイツのライン川に似ていることから、「日本ライン」と命名した。なお著作に、ランドスケープ論の先駆『日本風景論』がある。さらに農商務省,外務省などの要職に勤務,晩年は衆議院議員となった。