地方の神社仏閣
神社
○印神社庁に登録されている。

写真 住所 説明
中津川市       
恵那神社 中津川市中津川 山頂には、「延喜式神明帳」に記載された古社(「式内社」として、坂本神社、中川神社、恵奈神社が記載)である恵那神社の本社があり、伊弉諾尊・伊弉冉尊を祭っている。元々は恵那山山頂が本宮、麓が前宮であったが、1620年(元和6年)に前宮を新たに造営し直したさい、本宮が奥宮、前宮が本宮に変更される。1873年(明治6年)に郷社、1925年(大正14年)に県社となる。
中川神社 中津川市北野町 創建時期は不明。天正2年(1574年)、武田勝頼の東濃への侵攻の際に兵火で焼失する。
江戸時代、中川神社の名は消失している。戦国時代の焼失から江戸時代初期の間に分詞されと考えられる。明治時代になって「白山権現祠」が中川神社とされ、明治6年(1873年)村社となる。
現在の本殿は延宝5年(1677年)の再建であるが、この時には拝殿などは再建されなかった。平成14年(2002年)に拝殿、直会殿が再建され、同時に境内の整備が行なわれる
坂本神社八幡宮 中津川市千旦林 702年建立と創建と伝えられる。1574年戦火により焼失、後再建。誉田別命(応神天皇)、大山祇神(正鹿山津見神)を祀る。元々は神坂峠の道中安全を祈願し、大山祗大神を祀ったのが最初という。大宝2年(702年)に社殿を建立したという。時期は不明だが、豊前国宇佐八幡宮を勧進、合祀する。このころから坂本神社八幡宮と改称したという。諏訪神社の社伝によると、坂本神社は社殿の焼失後、延文2年(1357年)に遷座して諏訪神社となったとある。このことから坂本神社八幡宮となったのは南北朝時代と推測される。天正2年(1574年)、武田勝頼が東濃を侵攻した際、戦火により焼失する。その後荒廃してしまう。
天保3年(1832年)、現在の社殿が建立され復興する
中村八幡神社 中津川市
駒場津島神社 中津川市 祭神は素戔雄命。
西宮神社 中津川市 1895年西宮本社からご神体を迎える。
出雲福徳神社 中津川市坂下町 1932年(昭和7年)、島根県の出雲大社より分霊し。1995年(平成7年)、高さ約2.2mの恵比寿様、大黒様の石像を祀る。大国主神を祀っている。恵比寿様と大黒様の石像のお腹をさわって願いをかけると宝くじがあたるという評判がたっている。
天佑稲荷 中津川市蛭川  
恵那市       
武並神社 恵那市大井町1101 金弊社。御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)、誉田別命(ほむたわはのみこと)(応神天皇)、少彦名命(すくなひこなのみこお)。
 武並神社の創設は、承久2年(1220年)に領主であった茄子川谷武内城主の新田四郎左衛門尉源義清とその子の加子母城主の新田淡路守義綱が再興し、源頼朝、頼家、実朝の三君を祀ったのが始まりとされ、その後、永正年間(1504〜1520)に神社は兵火により全焼したと伝えられています。弘治2年(1556)に再建工事は途中まで進みましたがしばらく滞り、永禄6年(1563年)に大井城主藤井次郎左衛門尉常高らにより再興されて、永禄7年(1564)3月に遷宮式が執り行われた。
武並神社は、大井、岩村、久須見、藤、竹折、野井、佐々良木の七ヶ村にあって武並七社といったが、後に大井の支社の東野、正家、中野、永田、茄子川の五社を加えて武並十二社と称するようになったが、現在併合、改名により数が減っている。
 五郷稲荷神社    恵那市大井町1101  御祭神は宇迦之御魂大神。
創建は不詳。享保17年(1732)12月再建と武並神社社史に記録あり。当時は、大井村、東野村、永田村、正家村、中野村の五ヶ村の村民により五郷稲荷神社と名付けた。徳川時代に村が岩村藩と尾張藩に分かれたため武並神社の末社として祭祀された。
 
 根津神社    
恵那市大井町2065
 源頼朝の臣で信州根津の郷氏根津甚平の墳墓と言われている宝篋印塔が祀られている。  
 富士浅間神社    恵那市大井町    
  富士浅間神社    恵那市大井町岡瀬沢  貞享二年(1685)二月創祀。該社に係る縁由沿革等未詳。平成十三年八月二十七日恵那市大井町2311番地恵那峡稲荷神社を加える。祭りに奉納される浅間七福万歳は、昭和6年に三河万歳が伝えられた物で一時中断していたが昭和58年に復活し、恵那市の無形民俗文化財第一号。祭神は此花咲夜姫命。  
 市神社    恵那市大井町市神下600  通称市神様。寛文十二年(1672)長国寺住持覚禪和尚の「武並社縁起」に記載が見られる。貞享五年二月一日再建。その他由緒記載なし。祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)。
阿木川の洪水で数回の被害にあう。明治2 年、現在地に移動。
 
 金刀比羅神社    恵那市大井町2712番地の2  勧請不詳と雖も、明和三年三月十五日再興。その他由緒記載なし。祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)。  
 愛宕神社    恵那市大井町    
 子守神社    恵那市大井町    
 津島神社        
 津島神社        
 菅原神社     慧奈天満宮。
 
 

内城稲荷神社

       
神明神社    恵那市長島町中野1055−1  銀弊社。
 
神明神社     恵那市長島町中野字神明前1055番地の1  村社。
正慶年間の創祀。寛政六年一月社殿焼失再建。今日に至る。
 
 

豊玉稲荷大明社

   恵那市長島町中野717?2    
十二社神社    恵那市長島町中野字大隈前108番地の2  宝永7年(1710)熊野本宮大社より熊野大神の勧請を受け建立された。  
 天佑稲荷    恵那市長島町  昭和33年に英哉和尚が天佑稲荷真天より尊霊祠祀のお告げを受けて建てられたという。  
 

三郷稲荷大明神社

   恵那市長島町    
 小宮神社    恵那市長島町正家飛ケ根264-1-1  慶安三年(1650)創建。元禄四年(1691)再建。
富士山より石をいただき来たりてご神体として氏神としたと伝えられている。木花咲夜姫を祀る。
 
 ○津島神社    恵那市長島町久須見字天王前1038  主祭神は素盞雄神。
寛文七年九月創祀。その他由緒記載なし。
 
 福徳稲荷    恵那市長島町久須見  平成二十二年7月建立。
京都伏見稲荷分祀。
 
         
 武甕槌神社    恵那市武並町藤757番ノ1    
 白山神社    恵那市三郷町椋実字寺田1071番地の1  主祭神は天照大神。
創祀未詳なれども、貞享二年五月十八日。発願主渡井市衛門、道師別当泉福院舜勝、大工藤原朝臣、野井村鈴木六衛兵、相大工当村勝善右衛門とあり。又棟札にはね再建享保十三年八月二十一日。その他古文書あり。又文政元年再建ともあり。
 
武並神社 恵那市岩村町 大己貴神をはじめ天照皇大神などの諸神と配神二代目岩村城主遠山景朝を祀り、字矢田武並山に在った。神社調では延元元年(1336)鎮座とありますが、明確ではありません。遠山氏の氏神として、同神社を奉じて遠山氏が領地各地に散在しており、鎌倉末期か室町初期には存在していたことがうかがえます。
 寛永8年(1631)城主松平乗寿が武並山頂に社殿を造営し、、はじめて城下町の氏神として参拝者の繁昌を見るようになりました。 社殿は大正4年(1915)9月に、字一色、天王山津島神社の境内を拡張、ここに遷座、津島神社と合祀された。
八幡神社 恵那市岩村町  文治元年(1185)守護地頭制度の発足により、遠山庄地頭となった加藤景廉を祀っています。創立は景廉が卒した1221(承久3年)といわれ、城内鎮守の神として歴代城主や家中の崇敬があつかったといわれています。
 藩政時代は岩村城内北部の地にありました。現在も、八幡神社址があります。明治6年(1873)4月岩村城の廃城により現在の地に遷宮されました。
大船神社 恵那市上矢作町 大船山(1159m)山頂に近い大船神社の前身は天平神護年間(765〜67)、南都東大寺の良弁大僧正は、普く仏法を広めんと諸国巡礼の途次、大船山の登山、山の神のため法華経を読誦し一宇を設立した。これを覚林坊という。伝聖徳太子の御作、救世観音を安置し、寺を大仙寺と号した。明治の神仏分離令により寺としては廃絶、六社権現だけを残して大船神社となったという。舩
巌邑(いわむら)天満宮 恵那市岩村町新町 文政5年(1822)木村家当主知英が九州の大宰府より勧請しここに造営したことにはじまります。この地方では少ない学問の神様で、崇拝者も多く「学神祭」を毎年2月と6月の25日前後の日曜日に開催しています。
 岩村神社      承久の乱で京都で捕らえられ鎌倉に護送中に岩村城下相原で処刑された一条信能を若宮八幡としてまつったのが始まり。明治14年に岩村神社と改名。  
 南宮神社    恵那市明智町大田28  祭神は金山毘古命。
白鳳年間に勧請し久寿二年再建。その後兵火に罹り焼亡し、旧記棟札、口碑に存す。後、寛文二年再建。棟札を存す。
 


寺院

宗派 写真 住所 説明
長国寺(稲荷山) 曹洞宗  恵那市大井町1246-72 恵那三十三観音霊場第四番札所
中部四十九薬師霊場の番外寺院。
本尊は釈迦牟尼佛。『長國寺縁起』によれば、元は長興寺という寺名。寺は大宝2年(702)に始まり、妊観音が祀られていたと伝えられ、平安時代の元慶5年(881年)に天台宗の円珍の弟子覚源が観音堂を建立し直して、船岡山 長興教寺とした。室町時代の永正8年(1511年) 大井町周辺の神社仏閣は、美濃国の豪族土岐氏と信濃国の豪族小笠原氏の争いの際に兵火により焼失し伽藍の全てを失った。
安土桃山時代の慶長元年(1596年)に瑞浪市の開元院から體巌雲恕を招いて開山し曹洞宗の寺院として復興。
江戸時代の延宝年間(1673〜1680年)に現在の地に移った。
東禅寺(慧日山 黄檗宗 恵那市大井町354-72 恵那三十三観音霊場第一番札所。
寛文3年(1663)に始まる。本山は宇治市黄檗山万福寺。

延宝元年(1673)、通源和尚が尾張の志段見から現在の東中のあるところに移したとされる。本山から石雲和尚を迎え開山した。本尊は十一面観音坐像で明治初期の神仏分離令以前は大井武並神社にあった神宮寺本尊であった。
 横薬師教会  真言宗 醍醐派    恵那市大井町35?1  正式名称は延寿院。本尊は薬師如来。
 妙寿教会 日蓮宗 恵那市大井町2730-33-72        
 専行寺  浄土真宗本願寺派    恵那市大井町27-8-72        
 安国寺      恵那市大井町  廃寺になっている模様      
 

得浄寺

 日蓮正宗    恵那市大井町2633?61  1988年建立。      
 正善寺  法華宗(陣門流)    恵那市大井町北関戸2003-72        
長栄寺 曹洞宗 恵那市長島町中野568 恵那三十三観音霊場第二番札所
高安寺 曹洞宗 恵那市長島町永田557−2 恵那三十三観音霊場第三番札所
 長徳寺  曹洞宗    恵那市長島町久須見590  恵那三十三観音霊場第三十二番札所
 圓通寺  曹洞宗    恵那市長島町正家265-1  恵那三十三観音霊場第三十三番札所
 音通寺  真宗大谷派    恵那市長島町中野177-2-72        
 妙浄寺  日蓮宗    恵那市長島町中野715-72        
宗久寺 曹洞宗 恵那市東野 恵那三十三観音霊場第七番札所
常久寺 臨済宗 恵那市三郷町佐々良木 恵那三十三観音霊場第二十三番札所
佐々良木村杉ヶ洞に、文亀・永正の頃(室町時代)、龍遊山常久寺という小庵が建てられたのが始まり。 元和元年(1615)、同村の足立庄右衛門が寺地を寄進して、現在の昌沢山常久寺となる。
 天長寺  曹洞宗    恵那市三郷町野井303  恵那三十三観音霊場第二十四番札所
寛永15年(1638)、岩村城主になった丹羽氏信の三男 丹羽権兵衛氏春は千石を分知されて、野井村、藤村深萱、土岐郡山の内村(現瑞浪市)などを領して旗本に列するが、この氏春が父氏信と生母お徳の方の孝養のため、生母の護持仏の釈迦如来を本尊とし、丹羽家本家菩提寺大椿山妙仙寺を本寺として野井に明暦二年に開山したのが天長寺である。
 威代寺      恵那市三郷町野井  恵那三十三観音霊場第二十五番札所
 瑞現寺  曹洞宗    恵那市武並町竹折1064  恵那三十三観音霊場第二十六番札所
 洞禅院  曹洞宗    恵那市武並町藤1813-1  恵那三十三観音霊場第二十七番札所
若林観音堂      恵那市武並町藤田尻 本尊  十一面観音立像
 延徳年間(1489〜92)創建と伝えられる。
棟札では延宝四丙辰(1678)十二月八日
新宮を建て観世音菩薩を祀つたとある。
その後明和五年(1768)、文政六年(1823)
天保六年(1835)に再建、再再建された。
往時は信奉者が多く栄えられた。
     
萬勝寺(飯高観音) 臨済宗妙心寺派 恵那市山岡町馬場山田 恵那三十三観音霊場第十三番札所
本尊は千手観音菩薩で天台宗四祖慈覚大師(円仁)の作と伝えられる秘仏の観音

遠山利景の命を受け明知龍護寺の住職椽室により、満昌寺(万松寺)の再興として創立した。
 普門寺      恵那市山岡町下手向   恵那三十三観音霊場第二十番札所
 徳祥寺      恵那市岩村町飯羽間   恵那三十三観音霊場第二十一番札所
 林昌寺      恵那市山岡町久保原  恵那三十三観音霊場第二十二番札所
 万光寺  曹洞宗   恵那市上矢作町横道  恵那三十三観音霊場第十四番札所
寛永年間 徳翁秀用和尚によって開基されたと言われる。
 円頂寺  曹洞宗    恵那市上矢作町本郷  恵那三十三観音霊場第十五番札所
本尊は南無釈迦牟尼佛

寛永年間 徳翁秀用和尚によって開創されたと言われる。
 玉泉寺      恵那市上矢作町下  恵那三十三観音霊場第十六番札所
 東光院      恵那市岩村町富田  恵那三十三観音霊場第十番札所
大永元年(1521)、大源舜公禅師によって開かれた、旧大円寺に属するお寺です。
 清楽寺      恵那市岩村町日の出町   恵那三十三観音霊場第十二番札所
正安元年(1299)の建立といわれ、岩村町に現存する寺としては最も古い歴史を持ちます。
 盛巌寺      恵那市岩村町殿町  恵那三十三観音霊場第十一番札所
本尊は釈迦牟尼佛。慶長6年(1601)に開かれた。
 

浄光寺

     
恵那市岩村町336-1
 三河の内田弥太郎祐正(うちだやたろうすけまさ)によって慶長6年(1601)に開かれた。      
 黄梅院  曹洞宗    恵那市串原木根  恵那三十三観音霊場第十七番札所
寛永9年(1632)に盛巌寺の僧宝山文鏡が開基した。
 観音寺      恵那市明智町  恵那三十三観音霊場第十八番札所
 安住寺  臨済宗妙心寺派    恵那市明智町杉野  恵那三十三観音霊場第十七番札所
永禄4年(1561)に遠山景行公の室の安住尼が創建したと伝えられている。
自法寺 恵那市飯地町  恵那三十三観音霊場第二十八番札所
 長楽寺      恵那市笠置町姫栗  恵那三十三観音霊場第二十九番札所
         
 源長寺      中津川市茄子川  恵那三十三観音霊場第六番札所
 大林寺      中津川市千旦林  恵那三十三観音霊場第五番札所
 岩屋堂観音       中津川市千旦林  創立は不詳。棟札の古い物は寛文十二年大林寺の第四代住職の名が記されている。現在も大林寺寺領として登録されている。      
 禅林寺      中津川市阿木  恵那三十三観音霊場第八番札所
 萬嶽寺      中津川市阿木  恵那三十三観音霊場第九番札所
 高徳寺      中津川市蛭川奥渡区  恵那三十三観音霊場第三十番札所
 大洞院       中津川市蛭川  恵那三十三観音霊場第三十一番札所