美江寺宿

宿駅としての美江寺の歴史は、豊臣秀吉の下知で天正時代(1589年)に荷物の中継ぎ業務の問屋場が設けられたことに始まります。商家や旅籠があまりなかったのは、加納宿と垂井宿間は1日の道のりで、宿泊を必要としない間の宿だったからです。加納藩は、美江寺村の戸数が少なく宿経営が困難であったので、宿繁栄のため加納宿から造り酒屋を分与したり、新しい町の造成、市を立てるなど積極的に計画しました。
L字型に折れた小規模な宿場で、河渡宿と同じように低地に設置された。角には地名の由来になった美江寺観音がひっそりとある。

美江寺観音
氾濫から守るため伊賀から十一面観音を移し、ここに大伽藍を建立したところ氾濫はおさまり美しい江となったという。現在のお堂は斎藤道三によって岐阜に移されたのち再建されたものだ。

千 身區 堂
自然居士の作という千体の仏像のほか、円空が彫った仏像も安置されている。

呂久の渡し
呂久川と呼ぱれていた揖斐川の渡しだ。大正の頃までの揖斐川は、呂久地区の西をカーブするように流れていた。

小簾(おず)紅圓
降嫁する皇女和宮が、呂久の渡しの舟中で詠まれた和歌を記念して開設されたもので渡し場跡にある。


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