中山道(木曾、美濃)

落合宿


美濃十六宿で信濃との国境の宿場で、旅籠14軒の比較的小さな規模で、かつて防火や日用に使用する水路が道の中央を流れていた。横町には枡形が残り、上町との角には寛政4年(1792)に建てられた常夜灯が残る。

「是よリ北 木曽路」の碑
文豪島崎藤村の揮毫で昭和32年に建立。付近には松尾芭蕉の句碑や新茶屋の一里塚がある。つまり、これより南が美濃になる。

落合の石畳
うっそうとした林の中に838mが完全復元されている。このあたりは十曲峠の難所といわれたところだ。

山中薬師
虫封じの山中薬師といわれている瑠璃山医王寺(昔は天台宗であったが廃寺になった後天文13年(1544)に浄土宗の寺として再興された)には、十返舎一九の『木曽街道続膝栗毛六編』にも登場する狐が教えてくれたこうやく伝説が伝わり「狐膏薬」の看板も残っている。この寺に伝わる薬師如来は行基(ぎょうぎ)の作と伝えられ、虫封じの薬師として、三河の鳳来寺、御嵩の蟹薬師とともに日本三薬師の1つとして広く信仰を集めています。

下桁橋
安藤広重の浮世絵『木曽海道六拾九次内 落合』はこの辺りを描いたもの。ここから神坂峠を経て伊那谷へ通じた。道しるぺや石仏が当時を語ってくれそう。

本陣跡
現存する本陣の中でも、往時の姿を留めていることでは随一といわれる。この建物は文化年間(1804〜1816)の落合宿の大火によって類焼した後、建て直され、明治14年(1881)に大修理されて現在の形になりました。門は、定宿の加賀藩から贈られたもの。非常用に近くの善昌寺の裏に出る抜け穴が用意されていたという。

子野地蔵堂石仏群
しだれ桜の下に無数の石仏が並んでいる。元禄7年(1694)の庚申塚や地蔵、観音像など、数多くの石仏の表情は旅の疲れを忘れさせそうだ。

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