五個荘(ごかしょう)−てんびんの里   地図


近江商人の発祥の地として、近江八幡、日野とともに知られている。


歴史民俗資料館(旧藤井彦四郎家)
旧藤井彦四郎家を改修して歴史民俗資料館としたもの。藤井彦四郎は明治42年に藤井糸店を創業し、朝鮮にも出店し、撚糸の特許権を得て人造絹糸鳳凰印の「小町糸」の発売や「スキー毛糸」の製造を行うなど一代で成功しました。屋敷は敷地面積8155平方m、建物面積710平方mにも及び、庭には琵琶湖をもした池が作られている。
     TEL0748−48−2602

近江商人屋敷(旧外村繁家)
4代外村宇兵衛の妹に婿養子を迎え分家したのが始まり。外村繁はこの家の3男として明治35年に生まれたが、長兄が本家の養子、次男は病没のため一時家業を継いだが昭和8年に家業を弟に託し文学家として再出発した。井伏鱒二、太宰治などと親交があった。
4代外村宇兵衛の妹みわに婿養子吉太郎を迎えて分家したのが外村繁家の始まりです。吉太郎は宇兵衛本家の京都店の勤めから、明治40年に独立、東京日本橋と高田馬場に呉服木綿問屋を開き活躍しました。
 当屋敷も五個荘商人の本宅として、家族や番頭・女中が生活した大きな主屋や蔵があり、また書院や広い庭は来客の接待場として利用されていました。



近江商人屋敷(旧外村宇兵衛家)
明治初めに全国長者番付に名を連ねたほどの豪商の家。最盛期には2,720m2の敷地があった。外村繁の本家。
外村宇兵衛家は、文化10年(1813)に外村与左衛門との共同事業から、独立して商いを始めたのが商家としての最初です。努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を有し呉服類の販売を中心に商圏を広げました。明治時代には全国長者番付に名を連ねるなど近江を代表する豪商としての地位を築きました。屋敷は家業の隆盛と共に数次にわたる新増築が重ねられ、主屋・書院・大蔵・米蔵・雑蔵・納屋・大工小屋など十数棟におよぶ建物が建てられていました。また、庭は作庭当時、神崎郡内一番の庭と評されるほどでした。
 老朽化とともに往時の姿を損じていましたが、主屋・庭の改修や整備を行い、明治期の姿に修復して、現在、てんびんの里伝統家屋博物館として公開しています。


ハリヨ
淡水魚でイトヨの仲間のトゲウオ科。大きさは6〜7cm。背びれと腹びれが針のようにとがっている。水温が15℃位で一定していないと生息することができない。岐阜県の西南濃地方にも生息する。環境庁の絶滅危急種に指定されている。