長崎

迎陽亭跡(玉園町)
由緒ある庭園と唐船のつなぎ石門(この石は大黒町海岸にあったものを、ここに移して西道仙が揮亳)、迎陽亭は各藩及び長崎奉行所役人の集会所御用のみに応じていたが、のちに皇族方のご宿泊等にも使用された。

勝海舟寓居跡
本蓮寺境内にあり、安政6年まで境内の大乗院に止宿し大いに勉強に励み海外文化の吸収につとめた。
日本26聖人殉教の地
慶長元年12月19日(1597年2月5日豊臣秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信徒。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。二十六人のうち、日本人は二十名、スペイン人が四名、メキシコ人、ポルトガル人がそれぞれ一名。
グラバー園
旧オルト住宅
1865年(慶応元年)頃の築。 長崎に現存する洋風建築の中では最大規模のもので、本格的洋風建築、ウィリアム・オルト旧邸を建築したのは、天草出身の大浦天主堂も手掛けた職人・小山秀之進。
旧グラバー住宅
文久3年(1863)の築、正面玄関を設けない独特のバンガロー風様式を残す日本最古の木造洋風建築。もともとは逆L字形で周囲にベランダを設けていた。
大浦天主堂
教会として日本で唯一国宝建築物(1933.1.23)に指定されており、現存する日本最古の木造ゴシック様式の教会である。
正式名称 日本二十六聖殉教者天主堂

竣工 1864年12月
原爆落下中心地(爆心地公園)
平和公園
浦上天主堂
カトリック教会。フランス人宣教師の設計で建設に着手し33年もの長い年月を費やし1925年に完成した。原爆投下により崩壊し、赤レンガの壁が一部残るだけとなった。また浦上地区には当時約12,000人の信徒がいたが、約8,500人が爆死した。その後1959年に再建されステンドグラス・赤煉瓦造りなど当時の姿が復元された。
司馬遼太郎の文学碑
風頭公園にある。
坂本龍馬之像
若宮稲荷神社の方形の鳥居
旧長崎奉行所内の稲荷社に文政5年(1822年)に長崎奉行所・土方出雲守が奉納されたものが、明治32年(1899年)に若宮神社に奉納されたもの。
他の場所では、大阪の住吉大社に見られる。
ちゃんぽん
江山楼の特上ちゃんぽん