中山道(木曾、美濃)
今須宿(不破郡関ヶ原町)
妙応寺(曹洞宗大本山総持寺直末)の前の小さな集落であった。人や荷物を中継した問屋は、通常一宿に1、2ヵ所でしたが、今須宿では7ヵ所の問屋場があり、これは全国的に珍しいことでした。関ヶ原宿も含め、交通
の要衝であり、商品の流通が多かったからでしょう。この宿場を過ぎると近江路に入ります。本陣、脇本陣は現存しないが、「永楽通宝」の瓦が繁栄ぷリを語ってくれそうな間屋場の建物が残っている。
今須峠
馬も滑ってしまうほどの急坂で難所だったが、峠の茶屋があり旅人で賑わったという。この辺リは現在でも雪の難所となっている。
妙応寺
豪族長江氏が母の霊を弔うため建立した寺で、伝説や言い伝えが残っている。
常夜灯
今須宿にある常夜灯は、金比羅さんに願をかけ、紛失した荷物をみつけることができた京都の間屋が、感謝して寄進したものだ。
聖蓮寺
親鴛が立ち寄った寺で、その時、植えたと伝わる八房の梅は、現在でも見事な花を咲かせている。
車返しの坂
都の貴族が荒れ果てた不破関の風情を歌の題材にと、牛章でこの坂まできたが、不破関が修理されたと聞き、都に引き返してしまったという。
九里半衛道
琵琶湖の朝妻湊から、今須宿、関ヶ原宿、牧田、養老の三湊を結ぷ重要な街道で、北陸、関西からの物資は桑名、さらに江戸まで運ぱれていった。海、川、陸と運送のネットワークに驚くぱかりだ。
寝物語の伝説
都から義経を追って近江側の宿に泊まった静御前と、美濃側の宿に泊まった義経の家来が夜が明けるまで、壁越しに語りあったという。中山道は、寝物語の石碑から西が近江の国となる。