加納宿
加納宿は関ケ原合戦後、慶長6(1601)年に徳川家康自らが築城を指揮した加納城を中心とする、美濃街道ではただ一つの城下町でした。町並みも普通 の宿場の三倍の長さがあり、美濃十六宿最大の宿場でした。本陣、脇本陣もありましたが、この宿の特徴はやはり問屋場で、日本一の生産を誇った下級武士の内職によって発達したといわれる「加納傘」をはじめ商工業が盛んでした。城郭は1873年に取りこわされ,石垣のみが残る。
手カ雄神社
かつて木曽川だった境川の岸辺にあり、天の岩戸を開いた手力雄命を祭る神社だ。雨乞い伝説の火察りが知られている。
切通観音は長森城跡
江戸時代、平藩安藤氏がここに陣屋を置き美濃の領地を支配していた。古くは土岐氏が築いた長森城の跡でもある。
細畑の一里塚
街中に現存する貴重な一里塚で、榎も植えられている。修復されたとは言え一対とも見られるのは珍しい。
地腹堂の道しるべ
旅人を見守ってくれた地蔵さんの傍らに、深く刻みこまれた道しるべがある。笠松を経てお伊勢さんへ向かう近道だと案内するものだ。
ぶたれ坊は妙寿寺
乱暴者だった江戸の関取二代目鏡岩が、仏を安置し旅人にぷってもらい、茶を振るまい自身の心を悔い改めたという。
御鮨街道
妙寿寺の前に道しるべが残るこの遺は、笠松、一宮に向かう尾張街道で、長良川で取れた鮎を鮨に加工し江戸幕府に献上した時通ったので御鮨街道とも呼ぱれていた。
お成リ道
徳川家康が関ケ原の戦いに向かう時通った道で、尾張藩主が岐阜町を訪れる時、エンギをかつぎこのルートを通ったという。
久運寺
大名行列以上の権威を持ち、恐れられていた茶壷道中の本陣に指定されたが、断った住職が追放されたという事件があった寺。
臼姫
徳川家康の長女で、二代将軍や御三家の姉にあたリ天下の姫御前と崇められていた。初代加納城主奥平信昌の正室。光国寺などゆかりの寺がある。
加納城跡
美濃国守護代斎藤氏の城跡に、家康が関ケ原の戦いの直後、築城を命じ奥平信昌を10万石の初代城主に任じた。現在、国の史跡に指定されている本丸、二の丸の石垣など僅かしか偲ぷものはない。
川手城跡
美濃.尾張、伊勢3国の守護だった土岐氏の居城で、200年あまりも繁栄し、都の戦乱を逃れて貴族や文化人もしぱしぱ訪れていたという。
岐阜町
斎藤道三、織田信長の国取り物語リの舞台となった町で、江戸時代には長良川の湊町として栄えていた。当時を偲ぷ古い街並みも見られる。
行来の松の石碑
加納から淀に移封した大名戸田氏の家臣が、この松を思い歌を詠んだところ霊元法皇が称賛、以来多くの人々に詠まれていったという。