大湫宿(四十七次)
宿の町並みは十三峠西端の寺坂を下りた北町から、白山町、中町、神明町、西町までの約340mの街道に沿った細長い宿場でした。中山道のルート変更に伴って十三峠の改修と共に慶長九(1604)年に新設された宿。脇本陣は当時の雰囲気を残している。宿場外れには尾張藩の大湫川並役所が置かれていた。
阿波屋観音
石室に数段、三十三体並んでいる観音さまは、定飛脚たちが建立した三十三観着で、西国三十三霊場と同じ御利並があるとか。隣に大湫宿の阿波尾の茶屋があったためこう呼ぱれていた。
尻冷やし地蔵
お地蔵さんの後ろから泉が涌き、まるでお尻を冷やしているように見えるので名付けられたとか。当時のシャレっけがわかるようだ。
神明神社の大杉
樹齢1300年という古木は宿場が生まれる前から大湫の推移を見守っていたことであろう。
残っていた一塁塚
明治を向かえる前に多くが消滅していったが、この付近には権現山、八瀬沢、奥之田、鴨之巣の一里塚などが現存し保存されている。
琵琶峠の石畳
標高540Mで伊吹山、白山や伊勢湾が眺められたという琵琶峠にS45年に発見された長さ600Mという石畳だ。
弁天池
すいれんが池いっぱいに花を咲かしている。小島のお堂が印象的だ。山や高原の中を行く中山道でここはオアシスだったことだろう。