中山道(木曾、美濃)
垂井の宿
中山道と美濃路の分岐点。美濃国一の宮の南宮神社近い。芭蕉ゆかりの垂井の泉や時雨庵なども有名。玉泉寺境内に隣接して欅の大樹の根元から清水が湧き、「垂井の泉」と呼ばれ、これが「垂井」の地名の起こりです。
美濃国府跡
古代、府中には美濃国を司る国府が置かれていた所で、付近一帯は美濃の中心だった。現在、発掘調査を進めており、これまでに政庁など国府の全容が明らかになりつつある。
垂井の泉
垂井の地名の由来ともなった泉で、大きなケヤキの根元から現在も水が湧き出ている。
紙屋塚
美濃和紙発祥の地といわれる官設紙漉き場の跡で、紙漉きの技術はここから揖斐川、板取」l1水系の地方に伝播していった。
願証寺
長島にあった美濃、尾張、伊勢一向宗の中心の寺だが、長島の戦いで織田信長に破れたのち、この地に移った。平尾御坊と親しまれている。
真禅院
国の重文、朱色の三重の塔が緑の山に映えている真禅院は、かつては南宮大社と共にあった寺だ。明治の初め神仏分離令によって廃寺されそうになったが、時の僧や地元の人々によって移築された。
南宮大社
美濃国一の宮で古くから金属の神さまと崇められている神社。関ヶ原の戦いで焼失したが春日局の進言で家光が再建している。