赤坂宿

中山道赤坂宿は杭瀬川の赤坂港や谷汲街道との分岐点の宿場として栄えていた。東海道赤坂宿(愛知県)と同じ名前のため「美濃赤坂」と呼ばれ、虚空蔵さんや谷汲さん参りで賑わいました。町並みは、金生山を背にして、東西に一筋にのびています。文久元年(一八六一)の和宮東下のとき、大行列一行が宿泊しましたが、赤坂宿ではそのために五四軒もの家が新築されました。金生(きんしょう)山から採掘される石灰岩と大理石をもとに石灰工業と大理石加工業が発達。 春目局ゆかリの地、曽根城跡春日局は父が仕えていた稲葉一鉄の居城曽根城で誕生したと伝えられている。城跡には」鉄の母の菩提寺華漢寺が建立された。


赤坂港跡
杭瀬川を上り下りする舟が数百も見られたという赤坂港。そんな賑わいを語るかのように川灯台が川のほとリにある。

谷汲街道の道しるべ
西国三十三ヶ所巡礼の満願成就の寺、谷汲山華厳寺を案内する道しるべだ。関西各地を歩いて回ってきた巡礼さんにとっては特別に感じられたことだろう。

脇本陣
赤坂宿には本陣はすでにないが、脇本陣は書院、上段の間などが保存されている。

お茶屋屋敷跡(ボタン園)
お茶屋屋敷は徳川家康が築いた将軍専用の宿舎で、岐阜城の建物を移築して築かれた。全国では唯一という空濠、土塁が残る跡地は、現在、東海一を誇る、ボタン園となっている。

照手姫伝説の井戸
浄瑠璃など「小栗判官」のヒロイン照手姫ゆかりの井戸で、清墓の長者に売られてきた照手姫は、辛い水汲みをしながら結神社に祈願したところ無事、判官に全えたという。

美濃国分寺跡
美濃国分寺は、朝廷が国ごとに造らせた国分寺のひとつだ。国の史跡に指定されている広大な跡地は史跡公園になっている。

美濃国分寺
江戸時代の始め、美濃国分寺跡から発掘され、現在、国の重文となっている薬師如来像を本尊として、国分寺跡を見下ろす山麓に再興された寺。


垂井宿へ