恵那・中津川地方の主な項目


恵那   地図
岐阜県の東南部に位置する東濃地方にあります。木曽の御岳を源とする木曽川が市の北側を流れています。恵那の名称は明日香村から出土した木簡に677年の年代で恵奈の記載が見られ、和銅六年(七一三)五月、好字選(諸国の郡、郷名に好字を著けよ)の通達によって「恵奈」の二文字が用いられたというのが通説となっています。また八世紀の文献「美濃国司解」に御野国恵奈郡(おおむね現在の恵那市、中津川市、瑞浪市の南部の一部、、長野県木曾地方の地域です。 )の記載が見られます。古くは恵那山の神坂峠(標高1595m)を越え信濃に至る古東山道(ことうせんどう)の美濃国にあり、この郡には駅家が大井(現在の恵那)と坂本の2駅がありました。中世に中山道の宿場町(大井宿)として発展し現在に至っています。
市制施行は1954年。産業は農業が主で、工業としては、精密加工、段ボールなどの厚紙の製造・加工があります。JR東海の中央線の恵那駅が市のアクセス地点で中央自動車道の恵那ICを併せ名所の恵那峡への観光の入り口になっています。恵那山への登山は中津川駅が最寄り駅になります。2004年10月25日に、恵那郡の南部と合併し、現在の人口は52,377人。(2015/12/01現在)面積504.24u、市の木は「ハナノキ」、市の花は「ササユリ」。標高は一番低い市役所付近で278.5mあります。

   ダム湖百選      全国で65カ所、県内では恵那峡と阿木川湖が選定
   日本の棚田百選   坂折の棚田  117市町村134ヶ所(?)
   遊歩百選        岩村町(町並みと城址
   森の巨人たち100選 上矢作町 笠木(ヒノキ)
   三大山城        岩村城、大和高取城、備中松山城
   バイオリン        鈴木バイオリンの生産
   美しい日本の歴史的風土 100選  城下町岩村の街並み(重要伝統的建造物群保存地区…現在110地区))
   日本の名松百選    上矢作町大船神社の松並木 
中津川  地図
中山道69次のうち、46番目に当たるのが中津川宿です。家数は228軒で、旅篭屋は、大小あわせて29軒あって商業の中心地として栄えました。町並みは長さ1100mで本陣・脇本陣・ 2軒の問屋、庄屋宅があったとされています。庄屋宅や卯建(うだつ)を持つ家が今も残っています。 島崎藤村の「夜明け前」の舞台となった中津川本陣や、維新時代の中津川会議の開かれた桂小五郎の隠れ家「やけ山」などが残っています。中央線開通(1902)後は近隣町村の商業中心地となり、また機械、製紙などの工業都市として発展。1952年に市制施行。2005年2月13日恵那郡北部、長野県山口村と合併し 現在の人口は約87,000人。市の木は「コウヤマキ」、市の花は「サラサドウダン」。 
蛭川(ひるかわ)中津川市蛭川
恵那市の北側に位置し、旧蛭川村で2005年に中津川市に合併。恵那市とは木曽川で分かれている。遊園地の恵那峡ワンダーランド博石館はここにあります。
中山道(なかせんどう)
江戸時代の五街道(東海道・中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中)の一つ、東海道とともに江戸 と京都を結ぶ重要な幹線道路でした。正徳年間(1711〜16)以前には中仙道とも書いた。正式には板橋から守山までの六十七次だが、東海道と重なる草津・大津を含めて六十九次という。木曽十一宿、美濃十六宿(落合中津川大井大湫細久手御嵩伏見太田鵜沼加納河渡美江寺赤坂垂井関ヶ原今須、柏原)だが険しい木曽の山道の印象が強く木曾街道・岐岨街道・支蘇路ともいう。全体で135里32町で木曽は約20里、美濃は約32里。恵那市内の中山道の特徴は上り下りが多い(最高で海抜391.3m最低で海抜267.2m)。

主な場所や植物
青い山脈阿木川ダム岩村城跡恵那峡恵那峡ワンダーランド大井ダム大井宿傘岩笠置山加子母の大杉寒天菊牛蒡グリーンピア恵那五百羅漢西行伝説シクラメンシデコブシ下野の庚申堂正家廃寺大正村苗木城跡中津川市鉱物博物館博石館ハナノキひかりごけヒトツバタゴ福沢桃助紅 岩保古の湖馬籠宿神坂大檜神坂峠明治座ローソク温泉坂折の棚田大船神社の弁慶杉